■ 帝国鉱泉株式会社     [目次ウィンドウ]   [目次]

もともと能勢電は、妙見方面への参詣客を運ぶことを主要目的とする一方で、山下精練所の資材や、平野で鉱泉水(炭酸水)を生産していた帝国鉱泉の製品などの貨物輸送も収入源としていた。帝国鉱泉については、輸送の便宜を図るため専用の乗降所が設けられていたとされている。初期には、帝国鉱泉貨物が貨物収入の25%を占めていたということである。下図に大正12年頃の帝国鉱泉の位置関係を示す。

帝国鉱泉停留所

帝国鉱泉株式会社とその専用停留所の位置
能勢電気軌道株式会社「能勢口・一ノ鳥居間平面図」 大正12(国立公文書館所蔵)を参考に作成

帝国鉱泉株式会社とは、明治時代より平野で産出される炭酸水を瓶に詰めて売り出した会社で、当初より「三ツ矢平野水」の商品名で広く知られていたが、明治40年頃からこれにサイダー風味を加え「平野サイダー」(のちに「三ツ矢サイダー」)として発売、現在でも良く知られる商品として存続している(現在の発売元はアサヒ飲料。アサヒ飲料はアサヒビール(朝日麦酒)から分離した会社で、吹田の工場は有名だが、これと帝国鉱泉との関係は未調査。ちなみに吹田のアサヒビール工場にも「三ツ矢サイダー」の看板があった。宝塚の「ウィルキンソン炭酸」も似ているが、いずれも早い時期にアサヒビールに吸収されたのかも知れない。)

余談であるが、子供の頃家では三ツ矢サイダーをビールと一緒にケース単位で買っていたので、よく飲んだ瓶入飲料のトップに入るかもしれない。夏にはこれとタケダの「プラッシー」が欠かせなかった(よく川西池田の駅前にあった米屋さんに買いに行ったものである)。三ツ矢サイダーの瓶は少し大き目だったので、一人では全部飲めなかったのをよく憶えている。

さて、一方能勢電の社史には以下のような経緯が記されている[46]

上図にあるのは「専用停留所」であって、しかも本線上に描かれているのでこの「引込線」とは別物のようであるが、存在時期は重なっている。分岐点の位置もこの専用停留所の付近に当たる。停留所の側線のようなものを引き込み線と称したのかもしれないし、図で省略されたのかもしれない。詳細は不明である。

平野から積み込まれた製品は、官鉄(鉄道院・鉄道省線)または阪急線を経由して全国に輸送された。官鉄の方は、池田駅前停留所と官鉄ヤードを経由して積み替えられた(池田駅前停留所の脇に帝国鉱泉の倉庫があった)。また、阪急の方は能勢口駅で積み替えられた(渡り線経由または積替)。輸送量で比べると国鉄経由の方が多かったようである。このような輸送は大正時代までは盛んに行われていたが、昭和に入って急速に減少し、能勢電全体の貨物輸送も昭和29年には廃止された。

三ツ矢サイダーは、やがて天然の鉱水を使用しない製造法が開発され平野にある必要がなくなったため西宮に生産拠点が移動し、平野工場は消滅するが、その建物は跡地に開店したDIY店(サンシャイン平野店)によって再利用されており、また今年(2001年)3月からは、その裏手に「三ツ矢記念館」が開設されている。(2001.11.3加筆)

「『摂北温泉誌』に見る大正時代の川西」のページ

三ツ矢記念館

三ツ矢記念館(旧御料品製造所)内部 -- 自動瓶詰機など(2001)

三ツ矢記念館

旧工場を彷彿とさせる「サンシャイン平野店」の建物(2001)

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