■ 流転の果てに〜生き残った阪鶴鉄道機     [目次ウ ィンドウ]   [目次]

東京都品川区、京浜急行新馬場駅から東に10分ほど歩いた所にある品川東公園に、明治生まれの元阪鶴鉄道機が今も静態保存されている。明治30年、伊賀鉄道が米国 Pittsburgh Locomotive And Car Works より輸入したが開業に至らなかったため阪鶴鉄道に売却されたもので、阪鶴鉄道13号機、鉄道省2850形である。製作者は今更いうまでもなく鉄鋼王アンドルー・カーネギーの創始した機関車メーカで、後年売却により American Locomotive Company (ALCO) に併合されたが、この機関車はPittsburgh時代のものである。

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阪鶴鉄道13号機→西武鉄道7号機 品川東公園 (2000.11.4)

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側面(同上)

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製造番号・製造年の読み取れる銘板(同上)

なぜ関西の機関車が東京に保存されているかというと、公園の説明板にもあるように鉄道省から西武鉄道・上武鉄道に払い下げられ昭和40年代まで関東で働いていて、引退後にこの公園に寄附されたからであるらしい。従って、「阪鶴鉄道13号機」としての復元展示を期待するべきではなく、あくまでも「西武・上武鉄道7号機」という扱いである(というよりも、小さくて無名だが働き者だった一機関車が、たまたま住宅街の一角に飾らずに置いてあるという感じで、それがまた好ましく感じられるのだが)。ちなみに本機の阪鶴鉄道時代の写真は[69][70]などで、また、上武鉄道7号機として現役で働く姿も[73] p.142のカラー写真に残っている。 自動連結器の取付け・バッファーの撤去、砂箱の位置(?)と裾の広がり具合、煙突キャップの形状など時代相応の変化はあるが、空気制動装置などの取り付けはなかったらしく、かなりオリジナルに近い状態と言ってもよいかもしれない。

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「7号蒸気機関車」説明板より (同上)

[70]にも述べられている通り、他のPittsuburgh機と違ってキャブの稜線に曲線が多用されている点が特徴であり、そのことはこの保存機によっても見て取れる。木製のサービスステップが両側にあるためそのシルエットに気付きにくくなってはいるが、それも野暮な言い草で、そのお陰で自由にキャブ内を見ることができるようになっている。またこのクラスの古典機としては大きい方に属する1321mmの動輪に、C55のような水かき(強化スポーク)が付いているのも目を引く。

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第1動輪付近(同上)

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三日月形バランスウェイト・水かき付きの動輪(上と逆側の第2動輪)(同上)

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運転室内部(同上)

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背面(同上)

阪鶴鉄道がPittsuburghから輸入した機関車は他に3両あったが、その3号機、鉄道省1255形は更に激しく転籍を経験したらしく興味深い。[70]によると、阪鶴鉄道→1904/高野鉄道(1922/南海鉄道)→1925/庄川水力電気会社→1930/新宮鉄道→1934/鉄道省→1938/流山鉄道という経歴であった。余談であるが、天賞堂のCタンク模型がそれをモデルにしているのではないかという説が雑誌「TRAIN」(1999-11)で紹介されていたのも思い出される。

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