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タイトル阪鶴鐵道の橋梁
記事No78
投稿日: 2007/12/05(Wed) 01:22
投稿者なかむら
はじめまして。

先日、近所を走る東武伊勢崎線(埼玉県)のレンガの橋台上に乗る古そうな橋梁(ガータープレート式?)を見に行きますと、一枚のプレートが張られており、文字が四行にわたって書いてありました。四行とも右読みで

一行目は「明治三十二年」
二行目は「阪鶴鐵道」
三行目は「○○○工場?」
四行目が「製造」

と書いてあるように思われました(分厚い塗料が上塗りされていて、文字がはっきりしません)

鉄道の事に疎いのですが、阪鶴鐵道には三文字(地名?)の工場があったのでしょうか?

東武伊勢崎線の営業が明治32年なので年代は合っているのですが、なぜ阪鶴鐵道のプレートが張られた橋梁を使用したのか?また、製造工場は何処だったのか?疑問に思い書き込みさせていただきました。

タイトルRe: 阪鶴鐵道の橋梁
記事No79
投稿日: 2007/12/08(Sat) 00:03
投稿者もりた
なかむら様:

ご投稿ありがとうございます。各地に散らばっているであろう
阪鶴の遺構について、このような情報により明らかになるのは
とても幸運なことと存じます。

阪鶴鉄道の工事や資材調達経路などに関する詳細な記録は殆ど
残っていないとされており、史料からこの工場の名称や場所を
特定するのは残念ながら困難かと思われます。
この橋梁がどのような理由でいつ頃から東武で使われて
いたのかも手元の資料の範囲では不明であり、むしろ東武の
記録をあたってみる方が見込みがありそうです。
ただひとつ私が存じ上げている範囲で関係する資料として、
宝塚市史の中に、明治30〜32年に阪鶴鉄道の工事で亡くなった
方のリストの一部というものがあり、その中に「第6号工場」
「第9号工場」という名称が見えます。(所在地はそれぞれ
宝塚の切畑、玉瀬)
以下推測で申し上げると、これらは番号で呼ばれているように
永続的な工場というよりも、福知山に向けて工事を進めるに
従って作られていった臨時の資材工場ではなかったかと思います。
小さめの橋梁がそのような工場で製造されたというのは、
ありえないことではなさそうです。これら「第○號」という名称は
プレートの3文字の表記に当てはまりうるのではないでしょうか。
なお、地名で3文字、かつ工場の名前になりそうな場所として、
これというものはちょっと思い当たりませんでした。

私も関東在住ですので、やや遠いのですが、そのうちこの橋梁にも
取材に参りたいと考えております。どうもありがとうございました。

タイトルRe^2: 阪鶴鐵道の橋梁
記事No80
投稿日: 2007/12/11(Tue) 22:18
投稿者なかむら
もりた様

メッセージをいただきありがとうございました。
その後Webでこの橋梁が紹介されている事も判りました。

阪鶴鉄道のプレートは現在クラックが入り、割れた状態で
かろうじて遺っています。

レンガの橋台も含め、貴重な鉄道遺構として興味を持ちま
した。

貴重なご教示もいただき、ありがとうございました。