本ページも1967(S.42)年4月22日、すべて川西池田構内です。
©T.O.
©T.O.
写っている列車の運用に関して、大野さんより頂いた補足解説があります:
1965年10月1日改正での福知山線蒸機牽引列車は、
福知山区のC57受持ちが吹田一区C11担当が
- 732レ・739レ、
- 722レ・743レ、
- 篠山口滞泊の744レ→1726レ・1727レ→731レ、
の6往復残っていました。 吹田一区C11使用列車は乗務員も吹田一区が全区間担当。牽引定数25車。 運転速度が高いので夏場の乗務はきつい仕業だったそうです。
- 休日運休の三田折返しの回1721レ・1724レ、
- 篠山口折返しの1723レ・1728レ、
- 1725レ・1730レ、
客車は回1721レ・1724レと1723レ・1728レが宮原持ちでスハ32・オハ35、 スハ43、オハ46、オハ47などの6連。1725レ・1730レは福知山持ちでオハ60・ オハ61系の7連。蛍光灯・扇風機付きの宮原車とグローブ白熱灯一列で扇風 機無しの福知山車とのコントラストが強烈でした。
1966年7月下旬にDD54試作機3両誕生で732レ・739レがDL化、1967年に入り C11使用列車が吹田一区のDD51に置換えられ、1723レ・1728レは732レから 739レの間合い運用でDD54化、1967年7月に722レ・743レもDD54化、1968年 3月末改正で篠山口滞泊の一往復も消滅、最終日の牽引機はC57 128でした。
©T.O.
©T.O.
©T.O.
鉄道の町 川西(Home) Copyright ©2008 by Toshio Morita All rights reserved.