■ 洛陽舎 阪急2000→2100系

阪急2100系は、今では阪急の主流となっている車体スタイルを初めて纏って登場した2000系の宝塚線仕様車で、製造開始は昭和37年です。2000系と同じく当初は加減速を自動化する定速度制御システムや回生ブレーキを備えパンタグラフもM車に2台装備していましたが、昇圧時(600V→1500V、宝塚線はS.44.8.24)に定速度制御が外され回生ブレーキも不要となったため後位のパンタグラフが撤去された格好となりました。阪急にいる間は冷房化されませんでしたが、能勢電に譲渡されて1500系となった際に600Vに再度降圧されると共に冷房化されました。この時パンタグラフが後位に移されています。その後再び1500Vに昇圧改造を受け、今でも能勢電の主力として活躍しています。
昭和40年代に小学生だった筆者なども、駅で5100系等の冷房車を期待していた所にこれら非冷房車が来ると「『扇風機』が来た」とがっかりしたものですが、その非冷房車の代表として、また屋根上ファンデリアへの懐かしさを込めて、2100系を製作してみました。

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洛陽舎−ホビーメイトオカの阪急新系列シリーズのキットは決定版として定評のある製品で、7000系まで代表的な系列がリリースされていますが、最近は一部が入手困難になっています。この2000系キットには、cM-T-M-Tc編成のAタイプと運転台撤去中間車を含むcM-To-oM-Tc編成のBタイプとがありました。いずれも冷房化された2000系をプロトタイプとしているため、2100系として作るには屋根上の大改造が必要です。また、床下機器は今のところ用意されていませんので、工夫する必要があります。

ここでベースにしたのはAタイプのキットで、2100系登場時の600Vオートカー仕様という想定で製作しました。但し、中間車の完成を待っているといつになるか分かりませんのでやむを得ず先頭車2両のみをご紹介します。
初期2000系の屋根上と床下を含む詳細図面は「日本の車輌スタイルブック」に掲載されており、2100系初期車と外見はほぼ同じですので、これを基礎としています。唯一の問題は上の写真と逆側(山側)の機器構成がわからないことで、これは写真でも初期の状態で鮮明に写っているものが未だに見当たらないため推測で作らざるをえませんでした。

想定した編成は、昭和37年製造の2次車で2159(Tc)-2109(M)-2160(T)-2110(Mc)です。これは1次車のFS-333台車が市販されておらず、2次車用のFS-345を使用するためですが、この台車だけ見ると何となく3000系を想起させられます。

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2110(Mc)のサイドビュー。
車側表示灯は戸締灯と非常通報灯がありますが後者は埋めました。無線アンテナもこの時代にはなく、後に母線をまたぐように屋根中央に設置されました(「阪急沿線」No.109, p.2に写真)。
連結器はロストの自連(珊瑚)を大幅に整形して、肘が下に長いタイプに変えてあります。
このサイドの写真はいくつか見つかります。主制御箱はピノチオの2800系用のものを2個つなげて近い形にしたもので、東洋電機の丸い紋章は削り落としています(2000系は東芝製のため紋章一つで印象がかなり違います)。断流器はエコーのものを部分的に使用、エアタンクはサイズで適当に選び、その他は自作しています。

逆側は推測でエコーの弱め界磁接触器、フクシマのMG、ピノチオの3連リボン抵抗器(新製品)を並べていますが、初期車では「MGと一体になった昇圧器を磁気増幅器で制御することによにより主電動機の分巻界磁電流を調整する」(鉄道ピクトリアルNo.663,p.213)方式ですので、MG隣の箱は弱め界磁接触器ではなく、MGもおそらく特殊な形状だったと思われます。

なお実車の裾には水切りの帯が突き出していますが、省略しています。初期車はこの帯が台車全部にかかる長さになっています。

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2159(Tc)のサイドビュー。
T車の床下はまた610系に逆戻りしたかのような旧式の様相です。コンプレッサーはD3NHA型ですがモデル8のD3E型(ロスト製)を代用、その他はピノチオの2800系用の機器を並べています。コンプレッサーもホワイトメタルのもので十分だったかもしれません。

屋根上のファンデリアは下のようなエッチング原図を作成して外注したものです。肩のハシゴ状の細い部分の強度を考慮してt0.3洋白板を使用しましたが、t0.2の方が良かったかも知れません。R付けと肩の曲げは鉄アングルに挟んで手で行いました。曲げてから穴の抜き落としが可能ならば困難ではないのですが、穴のすぐそばをシャープに折り曲げるのは難易度が高い作業です(曲げ線は勿論パターンに入れてありますが)。曲げてからのメクレ修正もやはり必要でした。
ルーバーは帯板で内側に作り込んでいます。エッチングパターンとしなかったのはささやかなこだわりです(曲げにくくなることは覚悟していました)。スリットから3枚は見えて欲しかったのですが、せいぜい2枚、角度によっては1枚しか見えないこともあり、今一つの結果です(肩の折り曲げがうまく行っただけでも良しとすべきかも知れません)。

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屋上機器も手間の掛かった部分で、機器台などをスクラッチビルドする必要があります。また、大きい方のヒューズ箱はフェニックスの東芝ヒューズパーツが入手できたのですが、小さい方は真鍮角棒・帯板・碍子から作っています。それにしても600V車とは思えない大掛かりな機器類です。PG-18AパンタグラフはフクシマPT42とし、小型組碍子を挟んで自作の台の上に取り付けています。

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屋根上の塗装はグンゼの三菱明灰色としました。阪急マルーン(旧)と床下の青灰色はマッハのものです。マルーンの隠蔽力がないのは確かですが、下地色を塗っても、結局下地色の影響なしに本来のマルーンがしっかりと出るためにはそれなりの厚さが必要ですので、無駄な厚塗り避けるため、プライマー上に直接マルーンを若干回数多く吹き重ねています。一回毎の吹き付けでできるだけ薄い均一の塗膜を作成していくのがコツです。これでも厚塗りになることなく深い艶のある美しいマルーン色が発色してくれます(何度も失敗しましたが…)。

写真によると初期車の扉の打ち合わせ部分には銀色の縦筋がありません。扉下部靴ズリ近くの銀線もありませんが、2000系は昭和36年製以降打ち合わせ部が全て銀になったという話もあります(「サイドビュー阪急・神戸宝塚線」)。靴ズリ部も実態はさまざまのようです。

このキットは塗装まででやっと工程の半分と思った方がいいかもしれません。塗装後に数字貼りなど気の重い作業が多いためです。窓セルや前照灯・種別表示灯に(工程の簡単化と外観の向上のため)嵌込みセルを発売するメーカーが出てこないものでしょうか。ともかく設計が良いので、丁寧に進めればそれに見合った結果が得られる気がします。

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初期車ということですべて広幅貫通路です。キットは一部狭幅になっていますので、広幅の妻板をホビーメイトオカで分けてもらいました。配電盤カバーは分からないのですべて埋めてしまっています。ドローバーに付けたジャンパ線はいさみやHi-Fiドローバー風に自作したものです。干渉を避けて内側寄りになっています。

(2000完, 2001.9.9記)



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