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路地裏1 路地裏1-1

国鉄と私鉄が近接して通る所と言えば、思い浮かぶのは一つや二つではな いが、そこにもう一本第一線の鉄道が絡んで互いに協調・競争している場所となると、都 市部は別としてそう多くはないのではないかと思う。兵庫県の川西市は、まさにそのよう な場所であって、かつて明治時代に鉄道敷設ブームが起きた頃を端緒として以降現在に至 るまで国鉄・阪急・能勢電の3鉄道を擁することで、周囲に抜きんでて鉄道交通に恵まれ た地域であった。本稿は、それら三者が狭い地域で文字どおり交差していた川西の中心部 の過去を、筆者の住んでいた昭和40〜50年代を中心に振り返ると共に記憶に留めることを 主な目的として書いた非定型の随想である。

「鉄道の町」という題を付けたが、一般にこの呼称は、新津などのように 鉄道産業が町を牽引していたような場所に使用されることが多く、ベッドタウンとして鉄 道とはある程度距離をおいて発展してきた川西の名に冠すると違和感を持たれる方もいら れるかも知れない。何か一つ町を象徴するもので形容するなら、「多田源氏の郷」とされ る場合が多いと思う。しかしながら、ある程度ひとつの場所に住むと人それぞれ違った見 方を持つようになるのは当然のことであるし、何より歴史的に鉄道がこの町にもたらした 影響の大きさを考えると決して的外れな形容ではないと考えるので、あえてこのような表 題を付けることとした次第である。川西と「鉄道の町」とを等号で結びつけることを意図 したわけではない。

記憶、特に幼少時の記憶というものは、印象の強いものが多い一方で定着 が浅いのか長い間思い出さないでいると細部が変化してしまうことがある。自からその場 で見たと思い込んでいた映像が、実は雑誌などで見かけた写真であったりする。あるいは また、後年の思い込み、こうであったらという願望や勝手な推論が往々にして記憶の映像 に入り込んで正しい記憶になりかわってしまうこともある。そのようなわけで、時が経つ と共に正確な記憶というものは失われて行くのが常である。文章にしたり写真を撮ってい ればかなり正確性は増すが、子供の頃であればそのような作業が必要だと思い至るはずも ない。本稿では、筆者の幼少時の近所の風景を30年も経ってから文章の上に蘇らせると いう、かなり無謀な作業を行うわけであるが、できるだけ当時の資料・写真に当たって事 実関係の正確さを期したつもりである。それでもなお過去に行って確かめることができな い以上、思わぬ誤りが含まれている可能性はあるので、気づかれた際には御指摘を戴けれ ば幸いである。

挿入写真:旧川西池田駅対面付近の路地裏 (2000.5.1)

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